Naz-naz

やさしいまほうのつかいかた。

全部を受け止めてないことに気づくこと。

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言葉は感じることをすべては拾えない。

感じることは言葉で全部掬えない。

住み慣れた言葉という檻の中にいるのに、言葉の外側をダイレクトに感じるのがずいぶんとヘタな自分がそこにいることに気づく。

 

今その瞬間がとても凄くて、見逃してるところがあるんじゃないかって不安になって、それでも流れてくる水のように留まることはなく、消えてしまわないように必死にかき集めても指からすり抜ける。

自分の中に取り込めばと飲み干したとしても、見えなくなったそれがすべてだと確かめようがない。そんなことをしてる間にも次から次へと流れてくるそれはお構いなしに叩きつけてくる。

記録しきれないそれになす術もなく、まるでフィルターのように通り抜けていく感覚。途方に暮れるかと思いきや、それほど悪くはない。

「ほらこれ探してたヒントでしょ?」

「覚えておいた方が良いんじゃないの?」

「今の感覚ちゃんと記憶できるの?」

「これを元にもっと考えて自分のイメージ作らないと」

それでもそんな言葉たちがついて回って、不安をぬりたくる。

待って欲しい、今覚えるから、記録するから、だからちょっと待って。そんな追われるようなヒリヒリした感覚が大嫌いで、失うくらいなら水の量を調節しようと、いっそ止めてしまえと、受け入れ口を狭めている自分がいたことに気づいた。

本を読んでるときにこのヒリヒリを感じるのだけど、今朝、そういうことが自分に起きてるんだということが分かったのでした。

そうか、急かされるとぎゅっとした感じになるのもここから来ているのかもしれない。

 

みなさんは100%全力で人の話を聞いていたことがありますか?

100%全力で目の前のものを感じたことがありますか?

自分で作った言葉のフィルターにかけて跳ね返していませんか?

 

受け取ってる最中に考えることは、とてももったいないことだ。

「考えるな、感じろ」とはいうけれど、どうしたらいいかなんて誰も教えてくれない。

でもあえてひとつ答えるとしたら、だから人間というものは表現をすることをやめられないんだと思う。